2010年代の開発主義と民主主義について ―シンガポールの事例から―

※この文章は早稲田大学社会科学部の国際開発制度論という講義の課題として提出したものです。

1.はじめに

 講義では、グローバル化の行方と、それを背景とした途上国の開発と政治をめぐるガバナンスの重層性の問題について扱ってきた。それらの学びを踏まえ、ここでは2010年代の開発主義と民主主義について、シンガポールに焦点をあてて考察していく。シンガポールは、現在1人あたりのGDPで日本を抜きアジアで最も豊かな国とされる。そんなシンガポールは、開発主義の中でどのように発展し、どのような政治システムにおかれているのかを考察することで、シンガポールの今後の展望について考えていく。

 

2.開発主義と民主主義

  2010年代の開発主義と民主主義について考える際に重要となる用語は、「開発主義」と「民主主義」である。「開発主義」は、確定された定義が存在せず、文脈によって異なる使い方がされる場合がある。本稿での定義を整理しておく。

 開発主義とは、「個人や家族あるいは地域社会ではなく、国家や民族の利害を最優先させ、国の特定目標、具体的には工業化を通じた経済成長による国力の強化を実現するために、物的人的資源の集中的動員と管理を行う方法」(末廣、1998、p.18)である。

 開発主義を掲げる国家は、行き過ぎると開発独裁へとつながってしまう。開発独裁とは、上記で述べた開発主義を推し進めるために、それに反対する勢力を抑圧する政治の在り方である。典型例として、フィリピンのマルコス政権やタイのサリット政権、インドネシアスハルト政権、シンガポールリー・クアンユー政権など、特に東南アジアを中心に開発独裁が正当化されていた。

 しかし1970年代以降、多くの国で「開発主義」から「民主主義」への移行が進められている。その要因として考えられるのは、開発至上主義がもたらした弊害に対する反動、開発の推進によって誕生した中流階層が次第に民主的な政治を求めるようになったこと、NGOといった市民団体の活用が進められたこと、ソーシャルメディアの発達等を挙げることができる。

 

3.シンガポールの経済政策

 1960年代のシンガポールの失業率は10%前後で、雇用の創出は最優先課題であった。またシンガポール都市国家であり資源が乏しく、生き残る道は経済発展のみであった。1961年に経済開発庁(EDB:Economic Development Board)を設立した。1965年にマレーシアから独立し、原材料供給地と市場を失ったシンガポールは、外国投資を呼び込み、経済活性化を図る政策を推進した。海外投資家にとって、魅力的な投資対象地域であることを明確に打ち出す政策となっている。

 経済発展の土台を作るため、政府は空港や電力、工業用地や通信網といった産業インフラを整備した。また、「クリーン&グリーン・シティ」を目標に緑あふれる都市づくりを実現した。シンガポールは、多様な民族で構成されるため、民族融和策の一環として、英語による学校教育を原則とした。国民が英語を習得することで、シンガポールが世界を相手にビジネスをすることを可能にした。

 さらにシンガポールには、外国企業の誘致や産業振興のために多くの優遇税制が存在する。例えば、シンガポール法人税は17%で、日本の40%などと比較してもかなり低い水準であることが分かる。

 

4.幸福度ランキング最下位の国、シンガポール

  シンガポールは、1人あたりの国内総生産はアジア最高で、国際競争力はスイスに次ぐ世界2位。世界での存在感も大きい。これほど裕福な国であれば国民の幸福感も高いように思われる。しかし米ギャラップ社の2012年の調査で、シンガポール人の幸福度は148カ国中なんと最下位なのだ。なぜこのような結果になるのだろうか。この答えは、民主主義の観点から考察することで浮かび上がってくる。

 

4-1.言論・報道制限

 シンガポールの主な国内メディアは政府の影響の強い企業の傘下にある。そのため政権批判や政権の内部情報はほとんど報じられない。実際に、シンガポール建国の父であるリー・クアンユー氏批判を行った欧米メディアが、たびたび名誉棄損や高額賠償を求められるという出来事も起こっている。

 

4-2.リー・クアンユー氏率いる人民行動党の独裁体制

 シンガポールは建国以来、人民行動党一党独裁体制が続いている。政府批判をしたら国外退去、デモは一切禁止で、国民の政治関与がほぼ禁じられている。

 また、シンガポールには厳しい死刑制度が存在する。特に麻薬関連に厳しく、例えばコカイン30グラム以上の所持で死刑となる。男性同士の同性愛は犯罪で、2年の服役とむち打ちの刑に処せられる。

 

4-3. リー・クアンユー氏死去後の政治体制

 一党支配に募る不満や、リー・クアンユー氏死去の影響で、野党がどこまで躍進できるか注目された2015年9月のシンガポール総選挙。しかしふたを開けてみると、与党(PAP)の圧勝。野党は逆に議席を減らす結果となった。リー氏の死後は、独裁体制が和らぎ、少しずつ自由に近づくかと思われたが、単純な問題ではないようだ。今後シンガポールは、どのような道を歩んでいくのだろうか。

 

5.シンガポールの今後の展望

 急激な高度経済成長をし、世界に確固たる地位を確立したシンガポール経済であるが、ここのところ、企業のコスト高や、一党独裁体制による抑圧への不満、物価高、外国人労働者への不満、少子高齢化など、問題が山積している。さらにシンガポール発展途上国から先進国へ成長させたリー・クアンユー氏の死去も重なり、カリスマ指導者がいないシンガポールの未来はどうなっていくのだろうか。

 シンガポールは最も成功したと言われる開発主義、開発独裁の国である。経済成長という観点から見ればそれは確かに成功だが、一方で民主主義の観点から考察すると、シンガポールは民主主義国ではなく限りなく社会主義国に近いと言える。経済発展が一通り完了し、先進国ならではの新たな課題を抱えるようになった現在のシンガポール。これからのシンガポールに必要なことは、開発主義・社会主義的体制から脱却し、真の民主主義体制に移行することではないだろうか。開発主義と民主主義は共存することができない。シンガポールがこれから先生き残るためには、国民が今まで押さえつけられていた想像力を働かせることが必要である。メイドインシンガポールシンガポールバリューを発揮できるようになれば、今後もシンガポールは発展していくことができるだろう。もしこのまま開発主義に頼り続ければ、他の途上国が脅威となり、シンガポールの未来は明るくないだろう。

 

6.参考文献

末廣昭(1998)「発展途上国の開発主義」、『20 世紀システム4開発主義』

鶴見良行(1995)『東南アジアを知る』

野嶋剛(2015、4月27日)「経済成長と愚民観統治 シンガポール建国の父、リー・クアンユーの語られぬ素顔」『AERA