1954年『ゴジラ』は太平洋戦争に対する 日本人の歴史認識を形成した。

※この文章は早稲田大学文化構想学部社会構築論系の講義の課題として提出されたものです。

1.はじめに

はじめて『ゴジラ』を鑑賞したとき、わたしはこの映画は反核を訴えている、と思った。しかし授業を通して、さまざまな視点から『ゴジラ』を読み解いていくうちに、『ゴジラ』は反核を訴えているだけの映画ではない、と思うようになった。わたしが授業で学んだことはたくさんあるが、その中でも特に印象に残ったことは、歴史や歴史認識についてのことである。歴史とは、それぞれの記憶が調整されたもので、選ばれたり切り捨てられたりして忘却されていったものであるということである。わたしはこのことを特に意識して『ゴジラ』を読み解いていくことにした。そして今回のテーマ「『ゴジラ』は太平洋戦争に対する日本人の歴史認識を形成した。」に至った。『ゴジラ』が公開された当時の時代背景や、日米の太平洋戦争に対する認識などに触れながら考察していく。

2.時代背景

1945年 終戦
1951年 サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約調印
1952年 占領終了 (1945年~1952年にGHQによる検閲がされていた)
1954年3月1日 第五福竜丸事件
1954年11月3日 ゴジラ』公開

ゴジラ』の公開は、終戦から10年目で日本国民の大多数は戦争の経験や記憶を持っていたと考えられる。しかし、『ゴジラ』公開の2年前まで日本は連合国軍に占領されていたという時代背景があり、わたしはこの点に注目した。占領期は、いわゆるプレスコードにより新聞や手紙、電話などが検閲され、反占領軍的な内容は弾圧されていた。このような検閲体制のなか、日本人が太平洋戦争について語ることは、困難であったといえる。つまり、『ゴジラ』公開前の日本では、太平洋戦争に対する個の記憶が調整されておらず、太平洋戦争に対するはっきりとした歴史認識が出来ていなかったのではないだろうか。

さらに『ゴジラ』公開の8か月前には、第五福竜丸事件が発生した。この事件は日本人に広島・長崎を思いおこさせ、戦争の記憶を蘇らせた。そして今後、日本が核と、どのように向き合っていくべきかを考えさせる契機となった。

そんな時代背景のなか『ゴジラ』は公開された。このように太平洋戦争における個の記憶が調整されておらず、しかし国として戦争や核に向き合わなければいけない時代背景のなかで、日本人は『ゴジラ』を太平洋戦争や第五福竜丸事件に重ね合わせ、自分のなかの歴史認識を確立していった。そしてそれぞれの歴史認識がやがて、日本の歴史となっていったのではないだろうか。事実、『ゴジラ』は当時、日本人の10人に1人が見ていたのである。『ゴジラ』が日本の歴史認識の形成に与えた影響は計り知れない。

3.太平洋戦争に対する日米の認識と『ゴジラ

太平洋戦争に対する日米の認識と、『ゴジラ』が与えた影響はどのようなものだろうか。米調査機関Pew Research Centerが2015年4月に発表した調査結果「Americans, Japanese: Mutual Respect 70 Years After the End of WWII」から、太平洋戦争に対する両国民の認識を見ていきつつ、『ゴジラ』の表象を考察する。

太平洋戦争において、重要な事案として日本の戦争責任が挙げられる。日本人の48%が謝罪は十分とし、15%は謝罪の必要はないと回答。つまり日本の63%が、太平洋戦争について、これ以上謝罪する必要がないと考えている。アメリカも61%が、日本はこれ以上謝罪する必要がないと考えている。

この結果から言えることは、「日本が戦時中してきた負の出来事は、歴史から排除されている。」ということである。このことは、授業で学んだ日米のミクロネシアとの関係を考えれば明らかである。

ゴジラ』での表象を、歴史の包摂/排除といった視点からみていくと、全体を通して、日本がゴジラ(アメリカ)の被害者として強調され描かれていることに注目する必要がある。アメリカの水爆実験によって誕生したゴジラが、アメリカではなく、なぜか日本を襲撃することで、日本はゴジラの完全な被害者として描かれ、同時に太平洋戦争の被害者という認識を正当化することにつながった。また平和の祈りの歌のシーンや病院のシーンなども、戦争の被害者という認識を強くさせたと言える。

もし、日本が行ったミクロネシアでの出来事を排除せずに『ゴジラ』を製作するとどのようになるだろうか。ゴジラミクロネシアに人々とともに共存していたが、水爆実験や日本統治により、住む場所を奪われ、ともに暮らしてきたミクロネシアの人々も放射能や日本統治によって苦しんでいる、その復讐をするためにゴジラは日本やアメリカに行くというストーリーになるのではないだろうか。ゴジラが日本を襲ったのは偶然ではなく必然とも言え、被害者意識ではなく、戦争に対する加害者意識が生まれ、現在と異なる歴史認識につながったのではないだろうか。

一方で、『ゴジラ』で日本の加害者意識が全く表象されていないわけではない。芹沢博士の存在である。芹沢博士が、オキシジェンデストロイヤーの使用に関して葛藤する姿は、自分が被害者から加害者へと反転してしまうことへの葛藤ということもできる。最終的に芹沢が、オキシジェンデストロイヤーを使用することで、芹沢だけでなく恵美子や尾形をはじめとする登場人物全員が加害者となった。この時点で、本来ならばゴジラと芹沢をはじめとする登場人物は被害/加害の点で、同等になったはずである。ところが、エンディングのナレーションは「若い世紀の科学者がゴジラに勝ったのです!」と言っている。この言葉は、加害を都合よく解釈していると受け取ることができる。

5.まとめ

以上のことから導きだされる太平洋戦争に対する日本の認識と、『ゴジラ』の表象に共通することは、「被害者の側面を強調し、加害者の側面をなかったことにした」ということである。つまり『ゴジラ』は太平洋戦争について、日本は東京大空襲や原爆を落とされた戦争被害者であり、あのトラウマを忘れてはいけない、といった歴史認識を形成したのである。

日本は戦争加害者としての認識が足りない、という批判は現在も世界の国々から言われていることであるが、戦争被害者としての認識が広まるきっかけとなったのが、この『ゴジラ』だったのではないだろうか。

歴史とは、それぞれの記憶が調整されたもので、選ばれたり切り捨てられたりして忘却されていったものであるが、日本人の太平洋戦争についての認識も、まさにそれであった。歴史を完全に知ることは困難だが、少しでも深く知るために、様々な立場に立って、色々な視点から物事を見ていくことが大切である。

6.参考文献

Pew Research Center (2015) 『Americans, Japanese: Mutual Respect 70 Years After the End of WWII』http://www.pewglobal.org/2015/04/07/americans-japanese-mutual-respect-70-years-after-the-end-of-wwii/